タイバンコクを中心に今でも現役の三輪自動車タクシーとして活躍しているトゥクトゥク。その原型は実は日本で生まれたダイハツのミゼットです。1959年にタイに初めて輸入された日本の三輪自動車がミゼットでした。
では、どの様な経緯でタイにミゼットが輸出されたのか?
戦後日本からタイにミゼットが輸出されたわけですが、なぜミゼットがタイに渡ったのかは未だに謎の様です。一説では「戦時中の賠償としてタイに送られた」と言われているようですが実際は日本はタイを占領していないわけでこれは違うと言われています。
日本はタイから日本円建てで借金をしていたのでこれを返済するための対価としてミゼットが送られたのではないかと考えられてもいるようです。
そしてもう一説、昔日本の郵政省が収集車に赤色の正に郵便局カラーのミゼットを使用していました。
三輪自動車から四輪自動車に変更する際に使用されなくなった中古の車両がODA(政府開発援助)としてタイに送られたという説があります。
こういった経緯でミゼットがタイに渡ったのであろうと言う憶測はあるようですが、実際の所、どういった経緯でタイにミゼットが渡ったのか詳細が記載されている資料は見つからないようで、誰も知る人がいないと言うのが本当のところのようです。
それ故、断言が出来ず「~と言われている」と言うあくまでも「説」でしかないようですね。
ただ、ミゼットは1957年から輸出されていたのは事実で、タイをはじめ東南アジアにも多く輸出されていたので上記の説だけではなく、「普通に乗用車として輸出されただけ」と言う可能性も完全には否定できませんね。
このミゼットが送られた?
最初にタイに輸入されたミゼットはミゼットDK型・DSA型だと思われていたようですが、実際にはミゼットのステーションワゴンがタイにわたり、それがまずはトゥクトゥクとしてではなくソンテウとして利用されるようになったようです。
現在でもその姿はタイでも顕在!当時のステーションワゴンの姿そのままと言っても過言ではないと思います。
それがこちら。
現在バンコクでトゥクトゥクとして利用されているタイプの車両は、ミゼットDK型・DSA型の荷台を改造して座席として使用できるようにしそれがタクシーとして利用できるようになった物だと言われているようですね。
日本では物を運ぶ三輪自動車から、タイでは人を運ぶ三輪自動車タクシーに変化したわけです。これが大量の荷物を運んだりするのにも利用され、人も物も運べる小回りの利く庶民の足として大活躍するようになったわけです。
現在は利用者の多くが観光客になって登録台数も少なくなってきていますが、まだまだ現役!
バンコクではトゥクトゥクの新規の登録はストップされているようですが、2025年までにすべてのトゥクトゥクのEV化が推し進められている現在、もしかしたら環境に優しくなったトゥクトゥクは重宝され登録台数が今後増えるなんてことも!
絶対にないとは否定できないことだと思います。
今後、タイでもう一度トゥクトゥクの存在が見直される時が来るかもしれませんね。バンコクでトゥクトゥクの姿を見ると「タイに来たな」と感じられるのでぜひトゥクトゥクには頑張ってもらいたい!
日本では姿を見ることはほとんどなくなってしまった昭和の三輪自動車が姿を変え、異国の地タイでルーツが日本にあるトゥクトゥクが今でも現役で頑張っている姿を見ることが出来るのは、私たち日本人にはなんともうれしいことですね。
日本では四輪自動車が普及したことによって役割を終えたように思える三輪自動車が、今後再び日の目を見るときが訪れるかどうか注目してみたいと思います。
1960年~61年のバンコク市内の様子を写した動画
この動画でわかることですが、1960年~61年には現在はアユタヤ等でトゥクトゥクとして活躍しているカエル顏のミゼットがトゥクトゥクとして走っていることがわかります。年代から考えてMPA型・MP2型・MP3型・MP4型のどれかでしょうね。まさかこれがバンコクを走っていたなんて!
しかも!現在の様に向かい合う座席ではなく、今もバンコクを走っているトゥクトゥクと同じ向きの座席の車両があったことには驚きです!
そして、ミゼット以外にも三井精機工業が製造していた三輪自動車「ハンビー」が写っているではないですか!もしかしたら日野の「ハスラー」かもしれませんが。同じく後部座席に客を乗せて移動できるタクシーとして営業しているではないですか。
タイに渡った日本の三輪自動車はミゼットだけではないことがこの動画を見ればわかりますね。生き残ったのがどうしてミゼットのみだったのかこの点も気になります。
今でも現役でタイのアユタヤで活躍中のMPシリーズを改造したトゥクトゥクが欲しい!そう思っている方もいるかもしれません。こちらのディーラーなら輸入してくれると思います。気になる方は問い合わせてみては?